多様性とは臨機応変であれ、ということ

ジェンダーを表す言葉は200種類以上もあって、それは毎日更新されているとか・・・。

しかし、特に、パスポートを申請するとき、申請書には、わが国の場合、男か女しかない。どちらでもないとか、男でも女でもあるとか、性別不明では、申請は却下される。パスポートそのものにも性別として男か女が記載される。日本以外の国で、Xという性別もあるらしいが、それは、まだ少数である。もし仮に200通りもの性別チェック欄を申請書に設ければ、申請書は1枚では足らない。

言葉とは概念である。人の頭の中にあるものである。人の頭の中で妄想されたものを言語化したものである。だから、ジェンダーを表す言葉は、極端な話、人の数だけあるということだ。つまり、100人、人がいれば100通りの妄想と概念が生み出される。

思うに、いまの北米西ヨーロッパの精神的支柱であるともいえる旧約聖書の申命記にある「男は女の格好をしてはならない、女は男の格好をしてはならない」という掟をかいくぐるために、さまざまなジェンダーを表す言葉が生み出されたのではないかと思う。

たとえば、いわゆる、心の性と身体の性が異なる人たちは、かつて、同性愛の変化形と見なされ、精神疾患とされ、偏見と差別にさらされていた。そのような状況のなかで、1941年、アメリカの精神科医コールドウェルが、人為的に性を心理的・精神的なものと肉体的なものにわけ、一方を心の性、他方を身体の性と呼ぶようにした、という。

性の多様性というくくりで、いま、わが国は、なにもかも、ごっちゃまぜの状態と言える。西洋を起源とするさまざまな言葉を、その精神的な背景を無視して、いろいろとつまみ食いして、自分たちの都合のいいように解釈し、都合のいいように使っているような感じがする。

多様性の尊重とは、いかに臨機応変に対応するかである。臨機応変であるためには、こだわらないことである。無の状態でいることが重要である。このようにあらねばならない、とか、かくかくしかじかでなければならない、と言ったステレオタイプ的な枠組みを抱えていたのでは、臨機応変な対応はできない。

さて、いろいろな考えを持つ人たちの話を聞くのもいいが、結局、それでは消化不良を起こして、いったい何を学んでいたのか、ということになりかねない。むしろ、なにも聞かないほうが、気付きが早い場合がある。

心は空の状態にしておいたほうが、よいのである。

月読日記

スピリチュアルなこととか、性のこととか、トランスジェンダーのこととか・・・

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