ひとりの時間を過ごす

禅の本にこう書いてあった。

何度も何度も繰り返し読んでいたのに、

そこだけは読み落としいていたのです・・・。



その、読み落としていところというのは、

わたしたち日本人の理想とする生活、もっとも美しいと考える生活というのは、隠遁生活だよ、というところ。そういう隠遁の生活を遊行の西行法師も良寛さまも生活を営んでいたんですね・・・、



そう、鳥の声や水の音に風の音を聞きながら、静かに書を読み、禅を組む。

たまぁ~に、好きなお酒を飲み、そして、ぶらりと尋ねてくる猫たちと遊んだりする・・・

心を自由にして、あるがままの姿で、生きる。



あのお茶の千利休は「市中の山居」と言いました。

あわただしい街なかにいながらも、そういう環境をわざとつくるのです。

だから、茶室は必ず母屋から離れたところにつくるのだそうです。



わたしも、日々、人間関係から離れて、騒々しい街なかから離れた山居に住んでいます。

もう10年近くになります。

たまに用事があるとき以外は、裸になって過ごしたり、鳥の声を聞き、猫と遊んだり、こころを自由にして、モノを書いたり、書を読んだり、経を読んだり、禅を組んだりして、過ごしています。あんがい、これが、一番のしあわせなのかもしれませんね・・・。



米と野菜が、飢え死にしない程度にあれば、それでいい、とちかごろ思うようになりました。しごとが入らなくて、イライラしたり、あせってみたり、あの支払いはどうしよう、こうしようと、悩んだりしたけど、



足りなければ、足りないように、足りないようにしておけば、いいんだよ、

という道元禅師の言葉に、悟らされた。

あるように、あるようにして、生きていけばよいのだよ

足りないものは、足りないままに、そのままでいいのだよい



最初、こんなところはいやだ、不便だと思ってけど、知らず知らずのうちに、これが、わたしに課せられた修行なのだ、と思うようになった。

この、ひとときの隠遁生活のなかで、これから、進むべき道を誤ることなく歩めよ、という神仏の導きなのでしょうね。

ひとりの時間を持たせてもらったことに、いかに尊いことなのか、ということ、そして、何か大きな力に生かされているということに、わたしは、感謝しないといけない。

月読日記

スピリチュアルなこととか、性のこととか、トランスジェンダーのこととか・・・

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