情を許す相手も、ジェンダーもいろいろ

江戸時代から明治にかけて理髪業に従事している人たちを髪結いと呼んでいました。いまでいう理容師さんのことです。

髪結いさんは男の人の髪を手がけるのが男の髪結いで、髪結い床という自分の店をもつ人を床屋と呼んでいたのです。いまでも、散髪屋さんのことを「床屋さん」といいますね。

で、女の人の髪を手がける人を女髪結いと呼んでいました。いまでいう美容師さんのこと。

いまは、女性の髪を手がけるからといって、美容師さんは必ずしも女性ではないですね。いわゆるカリスマ美容師と呼ばれている人たちのほとんどが男の人ですね。

その女髪結いの開祖は、じつは女性的男子だったそうです。

安政のおわりごろ、山下金作なるものが 大阪から江戸に下り、深川の栄木付近に住んでいた。金作は、ある日、仲がよくなった芸者の髪を結ってやった。金作の結った芸者の髪は、まるで歌舞伎の女形の役者のような髪に結ってあるので、他の芸者たちも、「自分たちも」と、金作のところにいき、髪を結ってもらったのである。

そのうち、金作は芸者や遊郭の遊女といった花柳界の女たちを得意先にし、彼女たちの髪を結うことを生業とするようになった。そして金作に若い男の弟子ができた。

この弟子、髪結いの謝礼として百銭(ひゃくぜに)しか取らなかったので、花柳界から百さんと呼ばれた。

花柳界の女たちの髪を結う百さんの立ち振る舞いから物の言い方まで、まるで生まれながらの女性のようで、女性ではなく男性に情を許していたという。

百さんは、女の髪結いを生業とし、やがて、八町堀大井戸に住まいを構え、女の弟子を取った。百さんは自分の髪を弟子にすかせると、こんどは自分が弟子のうしろに回って、弟子の髪を結ってやった。その様子は男の師匠と女の弟子というのではなく、女同士のように見えたという。

百さんの弟子はどんどん増え続け、なかには自立するものもあらわれた・・・。

『江戸時代の男女関係』(田中香涯著 内外出版協会刊、昭和2年)より

百さんの本名は甚吉。まわりからは女性的男子と呼ばれていたのです。今風にいえば、こころの性と身体の性が異なる性同一性障害の人、あるいはトランスジェンダー女子かな。

こころの性と身体の性が異なる人や性別を越境するトランスジェンダーのような人たちはいまにはじまったことではなく、昔から、いろんなところで生活していたんですね。

女性的男子と揶揄された百さんこと甚吉が、江戸における髪結いの元祖だそうです。

山東京山(江戸後期の随筆家)は『蜘蛛の糸』(芥川龍之介の『蜘蛛の糸』とはちがいます)のなかで、百さんこと甚吉を、「同性に情を許す女性的男子は、その身体つきはまるで女性のようで、感情も考え方も女性そのものであった。そういうわけで、百さんは女性が好む職業を好む傾向にあるように思えた」とつづっているのです。

最後に、女性的男子(こころは女性で、身体は男性)の人たちみんなが、男性に情を許すとうわけではありません。情を移す相手も、ジェンダーもいろいろ、ということなんです。

月読日記

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