三車火宅のたとえ

相手が納得していないのに、強引に理解させようとしても、無意味である。

強引に、講演会に動員されてた人たちは、半ば義務的に聞きにいっているわけだから、

真から理解など、するわけがない。

人権課題には、さまざまな課題がある、同和問題、高齢者のこと、外国人のこと等々

わたしが取り組んでいるのは、心の性と身体の性が異なる人たちの人権である。

十数年のあいだ、島根県職員研修やら松江市職員研修、地域の研修などに呼ばれて、

いわゆる性同一性障害者の人権について研修してきた。

しかし、自治体の職員研修というのは、ひとりひとりの職員が、自発的に自覚して出席していないので、仕事として、業務の一環として話を聞きに出てくるわけだから、真から心の性と身体の性がことなる性同一性障害についての理解を求めるのは無理な話だ。

とかく、人権講話というのは、眠くなる話だ。

いざ、自分に降りかかってこない限り、無縁の話題が多い。

長者が、巧みな方便によって、自分の子どもたちを燃え盛る家から脱出させ、その後、子どもたちに立派な大いなる乗り物を与えた・・・(妙法蓮華経第3譬喩品 三車火宅の喩え)

自分たちで、自覚し、自分たちの意志で、燃え盛る家から脱出してくることを尊重していたように、わたしたちは自覚して、わたしたちの意志で、学ぶということが大事である。

無理やり、強引に、相手が納得していないのに、LGBT(性的少数者)のことをわからせようというやり方は無益である。

わたしもそうであった。無理やり、相手が学ぶ気がないのに、業務の一環として、出席している人たちに、強引に心の性と身体の性が一致しない性同一性障害のことを分からせようと、相手の理解度を無視して研修をやってきた。

法華経を読んでいると、ふと、気が付かされることがある。

人々が、自覚的に自発的に人権について学んでみよう、性的少数者を理解したいと、かれらの自覚的な行動を促すように、さまざまな方便をつくし、言葉をつくしていかねば、と思うのである。

月読日記

スピリチュアルなこととか、性のこととか、トランスジェンダーのこととか・・・

0コメント

  • 1000 / 1000